空想じじい

人生は七転び八転び。

書きわすれた日記 2

K君のお父さんはいわゆる特攻崩れで、もう1週間戦争が続いたら生きてなかった。でも他の叔父さんが言うには、いや、もう飛行機がなくなったから戦争が続いてても行ってなかったんじゃないかな?と言う。K君のお父さんは、肝っ玉の座った人で何が起きても、う~んそうか、と言う決してあわてない。そして50歳を過ぎてから車の免許を取りに自動車学校に通った。いや~さすがにどん臭くなったな~50代は俺1人だ、若やつは覚えが速いな~みんな20代だ1番若い奴なんか5歳だ、そんなわけないわの~ハハハハ~。叔父さんはちょっと普通の人より時間はかかったが車の免許を取った、車(ジムニー)も買った。その頃僕が足を骨折をした、叔父さんは朝から片道3時間かけて病院まで行ってくれた、帰って来たらもう日が暮れていた。それから叔父さんが特攻で使っていたヘルメットとゴーグルと手袋がどう言うわけか家の戸棚に昔から置いてある、ヘルメットと手袋はバックスキンになっててすごく暖かい、ゴーグルは競泳用のゴーグルを大きくしたようなやつで3面がガラスで出来てた。叔父さんは、数年前に母子家庭になってしまった僕の家のことが心配で週に2回くらい夜に顔を出して様子を見に来てくれた、それから僕がアホ高校に入学した、叔父さんは高校の入学祝いに1万円くれた、もしかしたら優秀な高校に入ってたら5万円くらいもらえたかも知れない。おまえに腕時計を買ってやろうと思ったけど自分で選んだ方がいいだろうと思うから、呑みにいくんじゃないぞ腕時計買うんだぞ。わかったありがとう、祝いをくれたのはK君のお父さん1人だけだった。今の10万円くらいの感じだ。それからまもなく叔父さんが入院をした、え~っ何処も悪そうにしてなかったのでビックリした、1週間位して見舞いに行かなきゃな~と思ってたら、亡くなったと言う、うそだろ~なんで?叔父さんは末期の肝臓ガンだった、具合悪かったのを我慢してたんだ。それ以降家の戸棚に置いてあった叔父さんのヘルメットとゴーグルと手袋がなくなった、誰も処分していない。