空想じじい

人生は七転び八転び。

東京大空襲

1945年3月10日に日付けが変わった直後の事だった、B29が325機で

東京上空に爆撃が開始された、すぐ後に大手商社が注文した大量の荷物を積ん

だ大型の輸送機が200機ペルシャから東京上空に到着した、飛行場がめちゃ

くちゃに壊されてて、着陸が出来ない、だが荷物を満載して帰るには燃料が持

たない。仕方なく荷物を全部落として行った。一方その頃その真下の公園で沢

小と山鳩は選挙用のポスターを撮影している、「庶民の格好をして七輪でサン

マを焼きながらインスタントラーメンを食べる場面だ」山鳩が言う、生まれて

初めてインスタントラーメンと言う物を見たが、こんなもんが本当に食べれる

んだろうか?庶民というのは胃に毛が生えてるけど、われわれには毛が生えて

ない、どうしようか?沢小さん、う~ん、口にくわえて撮影が終わったら吐き

出せばいいんじゃないの~、そうか!そうしましょう。早く撮影を終わらせて

赤坂の料亭に食べに行きましょう、お母さんに料亭に13億持ってくるように

電話をしときます、13億もかからないんじゃないのか?まあいい。撮影も終

わろうとしている時だった、突然空が真っ暗になった、どうしたんだろう?2

人は空を見上げた、なんと空一面ペルシャじゅうたんで覆われている、じゅう

たん爆撃が始まった。逃げ場がない、2人はじゅうたんの下敷きになった、だ

が幸いにも、山鳩は、顔面を強打して顔が平面になって、無表情になった、全

身の粉砕骨折だけの軽症で済んだ。沢小も、脳挫傷、頚椎の骨折、大腿骨の骨

折、両足首の複雑骨折、両腕骨折、ろっ骨を7本折る、意識不明の軽症で済ん

だ。2人とも運がいい。


追伸 当時実家から直線距離で50メートル位離れた所に一発爆弾が落ちまし

た、ちょうど井戸にすっぽりはまって不発でした、爆発してたら僕は今も、芋

のへたをやってます。